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バブル期のオペラ熱?

 
 『日本オペラの夢』(林光著、岩波新書、1990)
 『オペラをつくる』(武満徹/大江健三郎著(対談)、岩波新書、1990)

 新書という、いわば「専門家が一般人に平易な解説を伝える」というのが、そ
の本来のあり方である存在のタイトルに、同じ年、しかも同じ出版社からオペラ
の本が2冊出ている事実。
 当然、新書の編集部とは、その「時代の空気」「旬な話題」「売れそうな中身
や著者の人選」等々を意識しながら「制作」をするわけで、バブル景気の最末期
に、音楽出版社でもない岩波新書から相次いでオペラの本が出たことに、当時の
「熱っぽさ」を感じることはできないでしょうか。

 オペラの引越公演は、戦後の1963年、ベルリン・ドイツ・オペラの引越公演が
記録されていますが(東京日生劇場柿落とし公演)、NHKのイタリア歌劇団も継
続され、その数も知れたものです。
 しかし、東京オリンピック(1964)から大阪万国博(1970)にかけて復興を遂げた
日本は、その後も経済成長を果たし、民音の16年にわたる交渉が実って1981年に
実現した「ミラノ・スカラ座引越公演」が、たまたま80年代初頭ということもあ
って、その後のバブル景気の予兆のような快挙として記憶されます。

 NHKのイタリア歌劇団は、1970年代になっても継続されていましたが、オー
ケストラはN響などの日本人でしたから、スカラ座が合唱団からオケから舞台装
置から、総てを携えての引越公演はセンセーショナルだった記憶があります。た
しか、劇場メンバーは帰国の機上の人となる頃、合唱団は日本に残り演奏会をや
ったような気がします(東京郵便貯金会館=現在のメルパルク=だったかな?)。

 その後、引越公演が当たり前になり、1年に十数団体が来日して毎月どこかで
引越公演が見られる、という情況になります。しかも、S席が4万円も5万円も
するようなチケットで上演されます。
 が、それも2008年までの話で、2009年は5団体程度。呼び屋さんは、1年以上
前から来日公演を交渉しているでしょうから、2009年9月のミラノ・スカラ座公
演を中止にはできないでしょうが(キャンセル違約金の方が高く付く)、既にリー
マン・ショックから1年。当時の情報では、激安チケットが企画され、5万9千
円のチケットが1万9千円の「プレミアム・エコノミー券」として発売されたり、
通常価格でS・A席を購入すると、「アイーダ」のDVDをプレゼントするとい
うオマケまで付けての販売苦戦だったようです。
 ただ、引越公演のチケット値引きは2007年頃から行われていたらしく、必ずし
もリーマン・ショック後の経済停滞だけが原因ではないようです。

 新国立劇場(渋谷区初台、旧通産省東京工業試験場跡に開館、1997年)のオープ
ンと、その中身である言わば「和製」あるいは「自主」公演が実力を付け始め、
当然海外劇場の招聘よりはコストも安く楽しめますから、引越公演の方が見劣り
するような場面もあったようです。

 さて、冒頭の2冊は、そんな昨今の「衰退」「存亡」とはまだ無縁の、確かに
プラザ合意はあったにせよ、第二国立劇場(現在の新国立劇場)に向けて、
 「日本にも本格的なオペラ・ハウスを」
との気運が高まっていた頃だからこその結果ではないのか。
 1981年のミラノ・スカラ座引越公演の大成功から、本場のオペラによって日本
人の耳が肥え、徐々に成熟し、1997年開館に向けて「日本にもオペラ専用施設が
できる」という空気・熱・期待があり、一般人向けの新書でもオペラを話題に出
版が企画される……。

 特に日本における海外歌劇場の引越公演を具(つぶさ)に調べた上で書いている
わけではないのですが、蔵書整理のふとした合間に、
・庶民の経済力拡大とオペラ人気
・気運としての世相(結果的に出版が後押し。多分、映像などの販売も。)
・成熟(耳が肥える)と日本側のインフラ整備(新国立劇場)
・経済低迷と引越公演の収支バランス
等々のあれやこれやに思いを巡らしてしまいました。

 今年(2011)3月の東日本大震災の折、ちょうど来日していたフィレンツェ歌劇
場公演では、フィレンツェ市長からから帰国命令が届いたとか、9月のバイエル
ン州立歌劇場公演では、多くの団員が日本行きを拒否したなどの報道がされまし
たが、改めて、「総合」芸術であるが故のオペラの在り方を考えてしまいました。
 来年以降はどんな展開になるのでしょう。

 2冊の新書が、まだまだ成長を信じて疑わなかった頃の、「良き思い出」のよ
うにも見えてしまうのは私だけでしょうか。
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「無伴奏」の意味に気づく

 
 中学3年だったと思います。レコード店が販促の手段として、

 「ご予約の方には SCHWANN のレコード・カタログ最新号を差し上げます。」

という「オマケ」の客寄せをやっていました。SCHWANN とは何ぞや? と思いな
がら、手元に届いた冊子は、欧文が並ぶだけの無味乾燥なもの。丹念に調べて輸
入レコードを定期的に購入するような資力もなく、とは言え、即座にゴミにする
わけにもいかず、しばらく本棚に収まっていました。
 日本には、『レコード藝術』(音楽之友社)という月刊誌があり、年1・2回レ
コードのカタログが付いてきましたから、それとの比較をするでもなく、何とな
く眺めることがあるくらいでした。

 ある時、前記事「データ管理前夜」でも触れた目録カードで、手持ちの音源デ
ータを記録することを試みたときのことでした。
 バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタと、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・
ソナタでは表記が違うことに気付きました。

・バッハ :Sonata for Violin Unaccompaniment
・バルトーク:Sonata for Violin Solo

 日本では同じ「無伴奏」と訳される元の語が、まったく違う記述になっている
わけです。

 思えば、当ブログのプロフィールに書いた、

・些細な「こだわり」から、「知るを楽しむ」こと

は、この15~16歳の頃に芽生えたのかもしれません。

 バッハの場合は、「伴奏無しの」といっても、それは「without b.c. (通奏低
音 basso continuo)」という意味で、確かに「演奏形態は“独奏”だけれども、
様式としては、他の作品、バッハと同時代のスタイル」で書かれている。
 一方、バルトークは、「独奏バイオリンのための」という意味で、確かに「演
奏形態は“無伴奏”」だけれども、音楽様式は明らかにバッハとは違う。

 ここに「様式」という語を登場させてしまうと、これまた時代様式・演奏様式
・楽器の様式などなどに始まり、違う用語の「形式」その他諸々、概念規定を整
理する必要が生じるのですが、ここでは一切の解説は省き、10歳代後半にそうし
た「様式感(観)」というものの雰囲気の違いに気付いたということ、またそのこ
とを日本語なら同じ「無伴奏」と括ってしまう演奏形態から名付けるスタンスと、
音楽様式の立場から言い分けることができる手段があるということ、もっと大き
く言えば、

・日本語では明確に言い表せない内容が、違う言語だと的確に言い表せる。

ということに気付いた、とでもいいましょうか。この気付きは、「話し言葉と書
き言葉」「漢字を遣う遣わない」に次ぐ、「いったい外国語って何の効能がある
の?」という、大袈裟に言えば個人内で言語を使いこなしていく「第3のノウハ
ウ」に目覚めた「事件」ではなかったかと思います。

 ここで音楽からはちょっと話題が外れますが、第1と第2のノウハウに簡単に
触れておけば、「話し言葉と書き言葉」は、字で伝えれば明快なのに、話し言葉
ではえらく神経を使うような場合。
 例えば、5人一組のバスケット・ボール5チーム分のゼッケンを作るとしまし
ょう。それぞれ1~5番のナンバーの付いた5色のセットを発注する時、

 白生地に黒文字/黄生地に黒文字/赤地に白抜き文字/青地に白字/緑に白

わざとだんだんと簡略して書きましたが、文字でこうして見れば、「布地の色→
文字の色」の順と了解できます。しかしこれを電話で口頭注文する場合にはどう
でしょうか。
 「アオジニシロジ」
と言われても、「ジ」が生地の「地(ジ)」なのか、文字の「字(ジ)」なのか混乱
するでしょう。ちゃんと「生地」「文字」と確認しながら伝えたつもりでも、受
け手が、個人商店で留守番の少し耳の遠いおじいさんだったりした日には、ミス
しない方が奇跡ということになりかねません。
 郵送で、FAXで、つまり、書面で発注した方が確実な例です。

 「漢字を使う遣わない」は、文字で表すにしても、「ここでこそ漢字を使うべ
き」という場面のこと。
 「彼女は受付にいるよね。」と書いた場合、人材の配置や適材適所という意味
で「要る」のか、勤務シフトの関係で今の時間帯だったら「居る」のかは、会話
であれば前後の脈絡や話者の置かれたシチュエーションで自明であっても、文字
で単に「いる」では今ひとつ理解できず、「要」と「居」を使って(使い分けて)
こそ相手に正確かつ明確に伝わるはずです。
 逆にわざとひらがなにひらく場合もありますが(「理念をつくる」のように、
「造る」ではないし「作る」でもなく、さりとて「創る」でいいのかと言えば、
もう少し広範な、根本的な、原理的な意味で使いたい、などというときには、す
べてを包含するというようなニュアンスで「つくる」と敢えてひらがな表記にす
るような例)、漢字をこそ使うべき、という場合もあるわけです。

 そこに、文化的背景の違う欧米の表記が加わる。
 エルガーの小品に「Chanson de Matin (シャンソン・ド・マタン)」という曲
がありますが、これを「朝の歌」と訳してよいものかどうか? イギリス人のエ
ルガーがフランス語で付けたタイトルは、自国イギリスにはないフランス文化の
香りを漂わせる意図なり憧れなりがあっての営みでは? だから、その曲想をど
ういう雰囲気で演奏するかといえば、フランス的に、という解釈。ではフランス
的ってなあに? 国民性は? 歴史は? 音楽様式は? と理解は広がり深まり
ます。

 教育としての外国語は、コミュニケーションの手段だとか国際感覚の育成だと
かを話題にしがちですが、もっと大きくというか根本には、「文化」や「歴史」
というものを入り口でも構わないから感じ取り、素養のかけらとして身に付ける
ことがあると思います。
 中国では、空飛ぶ燕と地上の馬を組み合わせ、燕の上に馬が乗っている彫像で
「この世の最速のもの」を表すのに、西洋は馬に翼を生やらかしてペガサスをつ
くる。そういや、手術・移植の対症療法と、漢方の対応ではまったく違うわね。
 そんなこんなの文化の違いを認め、自分の人生やアイデンティティの確立に生
かしていく……。

 流暢に話すことはできなくても、異文化の肝を正しく汲み取り、稚拙ながらも
真摯に向き合うことができるなら、ちょっと大袈裟な言い方かもしれないけれど、
それは人生を豊かにする薀蓄なのだといえないでしょうか。

 Unaccompaniment と Solo の表記の違いは、15歳の私にそんな思いを植え付け
たように思います。

 なお、この記事は、ブログを見てメールを下さった H.I. さんに捧げます。
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